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■義経黄金伝説■第44回(55回完結予定)

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義経黄金伝説■第44回(55回完結予定) 
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(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
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第7章 西行法師(佐藤義清)の思い出  一一三八年(長暦2年)から

■■1 一一三八年(長暦2年) 京都佐藤家屋敷。

一一八六年(文治2年より五十年前の京都。
佐藤康清の屋敷に訪れようとしている数名の侍がいる。京都風ではあるが少し
違う。着物の材料生地はなかなかの質である。裕福さが推し量れるのである。
京都油小路二条、神泉苑の傍らに佐藤家の屋敷はある。紀州紀ノ川北岸にある
荘園・田仲庄の上がりで佐藤家は潤っている。 
今様が聞こえている。外祖父源清経は白拍子目井とその養女乙前を囲っている
環境にあり、佐藤家もその流れにある。今日は遠くからの客人が来るため、宴
を華やかにという気づかい、聞こえてくるのである。
立派な出で立ちの若侍が挨拶をした。
「奥州平泉の秀衡でござる」
佐藤康清宅に、奥州平泉の藤原秀衡が、お供を連れ、訪れていた。
先先代清衡は、奥州の政情が平安となった時期、京都を訪れていた。京に上る
ということは、現在とは意味が異なる。まさに京は、世界の中心であった。清
衡は、京都の栄えを見て、この京都の複製を平泉に作ろうと考えたのである。
 そして、京都情報収集基地として「平泉第」を設置した。次は人のコネクシ
ョンである。
 清衡は、京都とのコネクションを作り上げようと必死であった。
このとき、遠縁である佐藤家を頼った。現在の佐藤康清は、佐藤義清、西行
師の父である。

「おお、これは、これは、丁寧なご挨拶いたみいります。書状にはいくどか。
このたびは書状とお土産をいただきありがとうございます」
挨拶を返したのは佐藤康清である。黄金や平泉の産物が送り届けられていた。
(若い御曹司じゃ。まだ二〇歳にはならぬじゃろう。が、すでに大物としての
貫禄が、、)康清は思った。
「いや、何の何の、義清殿と奥州藤原氏とは、五代逆上れば兄弟ではござらぬ
か。当家もこの京都にはなかなか親戚、知人が少ない身のうちでござる」
佐藤康清は北面の武士。2人の息子がいる。
奥州藤原氏といえば、京でも黄金王として名前が高こうござる。平泉から荷
駄が入りますれば、京の庶民など、今でも大騒ぎする始末。その御曹司が、こ
のようなあばら家へようお出でくだされた」
「のう、佐藤殿。少しばかり、京見物につきおうてはくださらぬか」と秀衡は
頼んだ。
「同じ年頃の息子、佐藤義清を京都見物に案内させましょう」奥から若者が現
れる。
「佐藤義清でございます。お見知り置き下さい」このとき二十才である。
「おお、康清殿はみめ麗しい良き息子をお持ちじゃ」
「見目美しいとは、、お戯れを、、よろしゅうございます。どんな所など案内
かまりましょうか」
「祖父から聞いております。東山の桜、そして宇治平等院などをのう」

 数日後、佐藤家前に、奥州に帰ろうとする秀衡を郎党が待っている。見送る
佐藤義清(西行)だった。秀衡は別れを告げた。
「義清殿、よいか約束じゃ。きっときっと平泉に来てくだされ。佐藤義清(西
行)殿がために、平泉にあるものを用意しましょうぞ」
「私のために、あるものを。はて、何かな。秀衡様、必ず平泉に参ります」
「きっとじゃ、約束したぞ。楽しみにされよ」
 去って行く黄金王藤原秀衡郎党の行列を見送る佐藤義清(西行)だった

■■2 一一四三年(康治2年) 平泉
 咲き乱れる桜。金色に輝く寺や屋敷。
そこが平泉であった。まさに黄金都市。それを見渡す、西行であった。
「ここは異国か…」 西行、思わず呟く。
 西行このとき二十六才。まさに平泉王国は異国であった。

 後にコロンブスの新大陸発見の契機となった本、東方見聞録、マルコ・ポー
ロにいわく『ジパングは黄金の国である』とは、この『平泉』であると言われ
ている。金色堂は黄金の家である。
 京都を始めてみた藤原清衡の京都文化に対するコンプレックスは、まず都市
平泉の建設から始まっていた。
 平泉は、まさに京都の複製都市であった。
 例えば、東に流れる北上川は、京都の鴨川。その向かいに聳える東稲山は比
叡山。中尊寺の占める関山は北山である。
 この北の京都を作り上げた奥州藤原氏の経済力は、みちのくの特産物と呼ば
れる黄金と馬であった。清衡、基衡、秀衡は、三代にわたり、平泉の黄金都市
建設のために、その黄金を潤沢に使った。
 当時の日本は、大きく三つに別れていた。平泉を中心とする奥州は、農業で
はなく、鉱業を基盤とした国家であった。
 坂東つまり鎌倉は、馬の放牧を中心とした牧畜国家。そして、平家の支配し
ていた西国は貿易を中心とする海洋国家であった。

金色堂は初代清衡公によって、天治元年(一一二四年)に建立された。
 建物の内部はもちろん、安置された三十二体の仏像も黄金色に包まれてい
る。内部装飾に使われている夜光貝は、インド洋の産であり、下地の素材であ
紫檀材も南洋諸島産の伽羅木であり、平泉王国が独自の海外との貿易ルート
を持っていたことを示している。
市街中心に大長寿院がある。
 大長寿院は、中に三丈(約九メートル)の阿弥陀如来像を収めた巨大建造物
である。
そこに収められている一切経五三〇〇余巻、金字と銀字で交互に写経した清衡
経は、千人の僧が丸八年かかって完成させた。

 平泉は、そのような巨大寺院が甍を連ね、処方から集まる物産が売られてい
る市が賑わいを見せている。
 西行奥州藤原氏の人々が待ち構える。
 このとき、西行二十六才。二代目基衡三十九才、その子秀衡二十三才であ
る。
「佐藤義清殿、いや今は西行殿か。どうじゃ、北面の武士をお止めなされて」
基衡は冷やかに言った。
「そうでございますなあ、出家いたしましたのは、二十三の年でございますか
ら、もう三年立ち申した」
「都はどうじゃ、上皇殿はお元気でおわしますか」
「うるわしゅうございます」
西行殿、法衣の衣に隠れられて、動きやすかろう」
秀衡はちらりと嫌みをいった。
「秀衡様、それはうがちすぎというもの。私は歌詠みの僧です」
西行はやや怒気を含んで答えた。秀衡の言葉が、的を得ているからである。佐
藤は、歌詠みをしながら全国を渡っている。諸国の実状がよく見えてきてい
る。いわば、京都・西国王朝の情報官であった。

 今、平泉・秀衡屋敷に西行はいる。
西行殿、ものは相談じゃ。ゆるりと、この平泉王国見て回られい。それを見
てからは相談じゃ。遠き親戚でもある西行殿だからこそじゃ。この平泉王国を
見られてから決めてほしいのじゃが、我々の一族は平和を望んでおる。祖父の
代より、京に対し、黄金、馬を贈っておるのは、この平泉仏教王国の平和を望
んでおればこそじゃ」
 西行、少し考えて。西行は、その秀衡の言葉を噛み締めている。
「私に平泉の間者になれとおっしゃるのか」
「いやいや、そうではござらん。我々の相談相手になってほしいのじゃ」
「言い方はかわれど、一緒でございましょう」
「いやいや、西行殿。我々は夷の国である。京から見れば、異国じゃ。京から
攻め滅ぼされるべき国じゃ。が、民百姓は仏教のお陰で、平和に暮らしてお
る。それをようご覧になってから決めてほしいのじゃ」
「いわば、同志になっていただきたいと申しておるのじゃ」
「同志ですと」
「同胞(はらから)と言ってもよいかのう」
「それほどまでに、この西行をお信じくだされるのか」

 平泉・束稲山の桜は満開だった。
 その元には平等院に瓜二つの無量光院が見えた。
「束稲山の桜、見事でございますなあ」
 西行が感嘆している。その西行に対して、にこりとして秀衡は言った。
「これも西行殿と見た、あの東山の桜でございますぞ。それにあの無量光院お
わかりいただけたか」
 秀衡は、昔の京都を思い出し言った。 
「あの山は西行殿のために桜を植えましたのじゃ。我々の義の証として」
「わたしのために」
西行は後の言葉につまる。

秀衡は山一つを、京都東山を真似て、桜の山とした。
それは西行一人のためにである。

「ご感動の程わかります」。
「あれは秀衡様が宇治平等院を見て、感激されて、お造りになられたのです
ね」
「のう、西行殿、なぜ中尊寺というか、おわかりになるかのう」
「中尊というは、脇侍や眷属神と一見の群像の中央本尊のことでございます
な」
「そうじゃ、西行殿、この平泉王国を、よく見て回られたか」
そう言われて西行は、ゆっくりと思い起こしてみた。
「あの奥羽の所寺を、すべて中尊寺の脇寺、眷属寺と見なしたならば、中央本
尊にあたるのが中尊寺でございますなあ」
「その通りじゃ」
 西行はやっと理解できた。そうなのか。
「平泉王国全体が、浄土曼陀羅なのでございますね」
「我が祖父、清衡は平泉王国一万余村の村ごとに寺を建てた」
 西行の頭には、白河の関からの笠卒塔婆が々と続いている光景が浮かんでい
た。
「また、西行殿がご覧になったように、白河関から外浜までの道路、一町別の
卒塔婆を立て、その面に金色の阿弥陀像を描いてござる」
「ま、まさしく、平泉はこの世を極楽浄土さながらに実現せしめる、浄土にご
ざいます」
「我が祖父、清衡、この金色堂の床上に納棺されておる」
「清衡様は永遠の命を…。即身成仏でございますか」
「平泉は仏教が至高の現実。最高の善なのじゃ。そういう考え方で、平泉を治
めておるのじゃ」
「お心がけ、りっぱでござります」
「うつしじゃ、西行殿。京都のうつしがここ、平泉、そして、仏教の桃源郷
ここに、、おわかりいただけるか」

■■3一一六〇年(永暦元年)京都六波羅平清盛屋敷。

この時から二十七年後、永暦元年(一一六〇)
  今年42歳になった西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れて
いる。
京都六波羅かいわいは、まるで平家の城塞都市である。親戚一同が甍を並べ、
藤原氏をはじめとしての貴族を睥睨している。平家にとって武力は力であっ
た。
 清盛と話す西行から、奥座敷に幼児と母親がかすかに見えていた。
(なにか、面白い話か、あるいは、わたしを陥れる奸計か。くえぬからのう、
清盛殿は、、)こう考えていた折り、大きな陰が現れている。
今、飛び鳥を落とす勢いの男が、仁王がごとく立っている。
「おひさしゅうござる。西行法師殿、巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの
北面の武士、当時の佐藤殿とはな」
 今42歳同年の清盛は、若い頃、詩上手の西行に色々な恋歌を代作してもらっ
たことを思い出して、恥じらい、頭を掻いている。
「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」
文覚も同じ頃、北面の武士である。
「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」
「今は、確か」
「そうじゃ、あの性格。、、よせばいいものを、後白河法皇にけちをつけ、伊
豆に流されておる」
文覚は、摂津渡辺党(大阪)の武士である。
「文覚は、あの若妻をなで切りにしてからは、一層、人となりが代わりよった
な」
話を切り出してきた。背後から若い女御が、和子を清盛の腕にさしだしてい
る。
「のう、西行殿。古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼子、どう
思う」
「おお、なかなか賢そうな顔たちをしておられますなあ。清盛殿がお子か」
「いや、違う。この常盤(ときわ)の子供じゃ、名は牛若と言う」
「おう、源義朝がお子か」 
(政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいるとは。清盛とは拘ら
ぬ男よのう。それとも性格が桁外れなのか)
西行の理解を超えていることは、確かなのだ。
「そうじゃ、牛若の後世(こうせい)を、お願い願えまいか。西行殿も
確か仏門に入られて顔がきこう。将来は北の仏教王国で、僧侶としての命を
まっとうさせてくれまいか」
「北の…」 西行は、少しばかり青ざめる。
「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものは
ない」にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。
 
西行が奥州の秀衡と昵懇な関係を知れば、いくら清盛といえども黙っているは
ずはない。が知ってりのか。西行は冷や汗をかいている。
「……」
「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、藤原秀
衡殿にとって、荷ではないはず」
しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気にしていないようだ。
「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」
「俺も人の子よ」

 相国平清盛池禅尼(いけのぜんに)には頭があがらぬ。
死んだ孫に似ているため助けをこうたらしい。

(が、相国平清盛は、北面の武士の同僚だった折りから、食えぬ男、また何や
ら他の企みがあるかもしれぬが、この話、西行にとっていい話かもしれぬ。あ
とあと牛若は交渉材料として使えるかもしれぬ。ここは、乗せられみるか。あ
るいは、平泉にとっても好材料かもしれぬ。ここは清盛の話を聞いておくか)
この時が、西行義経のえにしの始まりとなる。

平清盛はゼニの大将だった。平家の経済基盤のひとつは日宋貿易。奥州の金
を輸出し、宋の銭を輸入した。宋の銭の流入は日本の新しい経済基盤をつくろ
うとしていた。むろん、ここには平泉第の吉次がからんでいるのはいうまでも
ない。無論、西行もまた。

(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
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