yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

■義経黄金伝説■第49回

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義経黄金伝説■第49回(55回完結予定) 
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(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
第 章
一一九〇年 (建久元年) 花の下にて我死なむ

■2 建久元年(一一九〇)三月 京都
後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家(ふじわらていか)が呼ばれている。
西行の名前を残して起きたいのじゃ。」
西行様の、麻呂も賛成でございます、で、いかかな処理をいたしましょう
や」、
「 よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのじゃ 歌
聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国
の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」

法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。
「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝
ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組
みをどうすすかじゃ」
西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。

が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。
西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳を祭り、北の都の祭りとし、頼
朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いて
いた。奥州平泉は先年1189年文治5年に頼朝の手におちている。
おう、身震いがした、
崇徳が悪霊か、、 法王は遠く讃岐の方を見た。
後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、

■2 建久元年(一一九〇)三月 京都

文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺(じんごじ)にて打ち沈んでいる。
お師匠様、いかがなされました」
夢身、今は明恵(みょうえ)と名前を改めている。
「おう夢見か、ワシはな。この手で
西行をあやめてのじゃ。それがのう、頭にこびりつく。また。
ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのじゃ。
いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」
「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」
「そうじゃ」
文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の
夢見、明恵の、その文覚言葉を聴いての動揺も気づいではいない。
夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。   
           ■
仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。
「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿は
おられるか」
「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、
私にお伝え下させませ」
「あ、いや、夢見殿がおわれれば十分じゃ」
夢見は、西行を部屋に入れている。
急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。
「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」
「え、何か、」
「この日の本のことじゃ、たくすべきは、おぬししかあるまい」
西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。
「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事は
お師匠様に、お伝え下さい」
「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのじゃ」

夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふき
あげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣
の鳴き声が響く。

「この国は今変わろうとしておる。が、和の命も、もうつきよう」
しみじみと言った。
「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。
わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。
この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた
戦でなくなれれていよう」
「それは、いささか、私の手におもうございます」
「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」
「それは、お師匠様が」
「いあや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に
結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを
作っていただきたい」
「仕組みとは」
「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法
を守り、行っていきた。これから新しく規範が必要なのじゃ」
基準を意つくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい」
いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には
北条殿が、この世の中を動かすであろう」
「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおれれましょう」
西行は冷笑した。
「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは
頼朝殿か、大江殿か」
西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。
「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」
二人秘密になるのじゃ。
北条殿を助け、その世の仕組みと基準理(ことわり)を作られるのじゃ
「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」
「あの方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方が
ござろうて」
西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。
        ■
■3 建久三年(一一九二)3月京都

西行が入寂してすでに3年たっている。京都の 町の人々がうわさしている。
「北条殿は人がよい」
「あのててごは坂東の男でもよい男じゃ」
京では、そう評判が立っていた。この北条とは、政子の父、北条時政であ
る。京都の監視に来ているのである。
「田舎者じゃが、分を知っておる」といいつつも、京の公家たちは、北条を同
じ人間とは思っていなかった。一段下の人間であるが扱いやすい奴と思ってい
たのだ。武士は人間ではない。そういう認識が公家たちの共有意識であった。
犬、猫、動物の扱いやすいもの。それが北条であった。

源氏や平家は、公家の血が混じっており、まで人間として認めていたが、北
条は関東という田舎、いや外国の土から生まれた生物であった。
「あの北条が、鎌倉を支配すれば、我々も扱いやすいかもしれんのう」
ある時、法皇は、九条兼実にこう言った。

■4 建久三年(一一九二)3月13日京都

後白河法皇の御殿に九条兼実が現れる。後白河法皇の最愛の愛人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。彼女が丹後局(たんごのつぼね)である。

法皇の部屋には、病人独特のにおい
が立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった、
兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。
病床にある後白河は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と
弱々しげに言った。
「ははつ、法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」
「そばに行かれよ」後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。
「朕の遺言じゃ聞いてくだされ。よいか、それぞれの貴族の家、古式ののっとり、
各家々の特異技を家伝とされよ」
「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」
藤原兼実も藤原氏の氏の長者になっているのだ。

「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか兼実殿」
後白河法皇が、言った。
高階栄子が、兼平をせかす。
「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。殿下のお言葉じゃ」。
「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。各自、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝(れんし)をもって我が王朝を助けよ。まもれ
よ」」
「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」
「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。和歌により、、言葉にて我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、断じて我が項土ふめぬわ」
言葉によるバリアが張られていると、後白河法皇はいうのだ。
「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」
「まずは藤原定家が先陣かと考えます」
法皇は、急に目をつぶり、静かになる、
「母上、兄上。いまおそばにまいらせましょう。目宮殿、萎宮殿もな」
法皇は、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。

「家を、それぞれの家を、古式由来の技で守るのじゃ。いにしえよりの我々貴族の技こそ我ら貴族を守る。朕の遺言じゃ、、」
「兼実殿」
「はっつ」
「お、お主とは最後まで分かり合える事はなかったな」
「、、」
「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」
「よいか、兼実殿のお役目ぞ」丹後局がかたわらで繰り返す。

法皇の様態が変化した。
「弁慶に謝ってほしいのじゃ。お、お前から伝えてくれぬか、、」
「弁慶ですか、、」
兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世
の人ではないことを忘れている。4年前1189年文治5年4月30日に衣川
でなくなっている。
「兼実殿、殿下のお言葉にあわせるのじゃ」
「朕は、この父は、悪人であった。お前を闇法師として使ってのう、許してく
れ。お前の一生を犠牲にしてしまってのう」
法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。兼実が弁慶に見
えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。
弁慶は法皇の子供だった。

「朕はな、この京都を守りたかったのじゃ。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人
どもに政権は渡せぬぞ。血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝藤原秀衡に渡してなるものか」
しばらくは沈黙が続く。
「そうじゃ、西行は、西行はどこじゃ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。
早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうじゃ、平泉にの霊
御殿をつくる話しはいかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」

兼実は、西行になったつもりで、告げた。
西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」
「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい
か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」

法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲
撃によって焼き払われていた。八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くか
ら望見できた院政と京との象徴でったが、今はそれもない。

法皇、安んじなされませ。ほれ、経文をお読みくだされ…」
「おお、そうじゃ」
後白河は、経文を六度唱えた、静かに。院政最期の巨人は崩御された。

法皇様…」丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。
が、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、これで頼朝殿に征夷大将軍の位を与えるこ
とができると思った。
兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。

建久三年(一一九二)3月13日、後白河法皇崩御。66歳であった。

西行崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。西行
は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに崇徳上皇白峰神宮をつくる
ことを約束していたのである。

(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/
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