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源義経黄金伝説■第69回

源義経黄金伝説■第69回
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■ 1199年(建久10年)鎌倉

文覚は、対決の後、しばらくして、広元屋敷の元を訪れている。

文覚の頭や顔は朱に染まっている。
足取りもおぼつかぬ。
鬼一の打撃の後がゆっくりと文覚の体をむしばんでいる。
鬼一の八角棒には、やはり丹毒が塗られていた。

大江広元殿、鬼一方眼はワシがあやめた、これで、あやつらの王国、勢いがなくなろう」
文覚は、大江に満足げに言った。
「さようでございますか。それは重畳。しかしながら、いかがなされた。その傷は」
「我のことなぞ、どうでもよい。よいか、大江広元、義行を逃がせ」
「源義行を…、何を言う。気が狂られたか」

「よいか、大江広元。私、文覚は、元は武士である。鬼一との約束は守らねばならぬ」
 文覚は息も絶え絶えに言うのである。

「皆の者、出て参れ。文覚殿、乱心ぞ」

大江広元は、屋敷の郎党を呼び寄せる。
「くそっ、広元、貴様」
 手負いの熊のように文覚は、広元の手の者と打ち合うが、多勢に無勢。おま
けにひん死の状態の文覚は打ち取られる。
「残念、無念。清盛、西行、お前らが元へ行くぞ」
とらえられ、牢につれていかれる文覚が、いまわの際に叫んだ。

文覚は,今は亡き好敵手西行の最期を、そして西行から聞いたある話を
思い起こしていた。


待賢門院璋子けんれいもんいんたまこは、西行の手を強く握りしめている。
待賢門院璋子は後白河法皇の母君である。
その臨終の席に西行が呼び寄せられていた。

「二人の皇子をお守り下され。西行殿。私の最後の願いでございます」
「わかりました、璋子様、この西行の命に変えても」
西行は宮廷愛の達人でもあった。この時期日本は宮廷愛の時期である。

待賢門院璋子の二人の子供とは、崇徳上皇後白河上皇である。

璋子は鳥羽天皇の間に後白河法皇を生み、鳥羽上皇の祖父である白河法王の間
崇徳上皇をうんだ。白河法皇は璋子にとり愛人であり、義理父であった。
いわゆる源平の争いは、璋子を中心にした兄弟けんかから起こった。

西行は璋子のために終生、2人の御子を守り事を誓ったのだ。
西行は璋子のために、京都朝廷のしくみを守りために、その生涯を捧げた。
西行と文覚は、若き頃、恋いにそまりし王家を守る2人の騎士であった。

それでは、文覚は、日本の何を守ったのか。自問している。

文覚は若き折り、崇徳上皇の騎士であった。
上西院の北面の武士である。
しかし、文覚は保元の乱の折り逃げ出している。その折りの事を西行はよく知っているのだ、言葉で攻めていたのだ。

西行は、いまはのきはに、叫んでいた言葉を思い起こす。
「文覚殿よ、天下は源氏におちたと、、思わぬほうがよい」
「何だと」
「頼朝殿の義父、北条、平時政殿の手におちるかもしれんな」
西行の死に臨んでの予言であった。

いにしえ、坂東の新皇と自ら名乗った、平将門まさかどの乱平定に力があ
ったのは、藤原秀郷と平員盛である。藤原秀郷の子孫は、奥州藤原氏西行
家などである。
平員盛の子孫が、伊勢平氏と北条氏であった。

(続く
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