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源義経黄金伝説■第59回 1190年(建久元年) 葛城弘川寺桜吹雪の降る中 荒法師文覚が繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚を 西行の拳がついている。

YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと
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源義経黄金伝説■第59回 1190年(建久元年) 葛城弘川寺桜吹雪の降る中 荒法師文覚が繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚を 西行の拳がついている。
 

源義経黄金伝説■第59回

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

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■ 1190年(建久元年) 葛城弘川寺

荒法師、文覚が、次々と繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚の体が浮いた瞬間を

西行の拳がついてくるのだ。

文覚が八角棒で次々と颶風を起こし、西行の体を狙うが、西行は風のように

擦り抜けている。回りで見ている文覚の部下たちも、二人の動きの早さに驚

いている。七十才の老人同志の争いとは見えぬ。

ここ、河内葛城の山を背景に、桜吹雪の降るなかで、二匹の鬼が舞い踊ってい

る。一瞬、その時がとまり、桜の花びらが、どうと上に吹きあげられる。

一瞬、文覚の一撃が、西行の胸に深々ととらえた。突き刺さっている。常の西

行ならば、避けられないものではない。西行の体は地に付している。文覚は西

行をだきおこす。

「これで、気が済まれたか、文覚殿」

西行はいきたえだえに言う。

「なぜじゃ、西行。なぜ、わざとおれにやられた」

「ふふう、お主に対する義理立てかな。ふふう」

ふと、西行のある歌が文覚の頭を掠めた。『願わくば花のしたにて春しなむ

その如月の望月のころ…』

「くそっ、西行、いやな奴だな、お主は。最期まで格好をつけよって、自ら

の死に自らの歌を合わせよったか」

「そうだ、しきしま道のものならば、、文覚殿、我々の時代も終わりぞ」

「清盛殿、死してすでに七年か」

文覚、西行、清盛は、同じ北面の武士の同僚であった。

「文覚殿、最後に頼みがござる」

「頼みじゃと、さては貴様、俺にその約束を守らせるために、わざと…」

義経殿の遺子、義行殿に会うことがあれば、助けてやってくれぬか」

「義行をな、あいわかった」

文覚は顔を朱に染めている。

「ありがたい。俺はよき友を持った」

西行よ、安んじて璋子たまこ様の元へ行かれよ」

「おお、文覚殿、その事覚えていたくだされたか」

「しらいでか」

西行は、一瞬思い出している。

     ●

西行殿、よく来てくだされた。この璋子たまこの最期の願を聞いてくだされ」

「璋子様、最期とは何を気弱な事を」

待賢門院璋子けんれいもんいんたまこが病床に横たわっている。

この時代の人々は、この世のものならず美しい姫君を、竹取物語

ちなんで「かぐや姫」と呼んだ。白河法皇にとってのかぐや姫は璋子だった。

そして西行の悲恋の対象である。

西行殿、自分の事はよくわかります。我が入寂せし後、気がかりな事ございます。その後の事を西行殿におまかせしたいのじゃ」

「お教えくだされ」西行は、やつれぐあいに、感がきわまり声がかすれる。

「璋子様。」

「我皇子たちのことじゃ」

「、、、、」

「影でささえてくだされや。璋子の最期の願じゃ」

璋子は、西行の手をしっかりとつかんでいる。が弱弱しいのが、西行にはわかる。

思わず、頬をつたわるものがあった。

「わかりました。璋子様、我命つくるまで、お守りいたしましょう」

宮廷恋愛の果て、待賢門院璋子のため、西行は、2人の皇子を守ろうとした。

2人の皇子とは、19歳の折りの皇子、後の崇徳法皇と、27歳の折の皇子、後の

後白河法皇である。待賢門院璋子は、鳥羽天皇中宮であった。この親子兄弟

対立相克劇が、保元平治の乱の遠因となる。

     ●

最期に、西行は、目を開け、文覚を見た。

そして、懐から、書状を出す。

「文覚殿、頼朝殿への書状だ。またワシの最期、奈良の重源殿に伝え下され」

西行は目を閉じた。

「く、」 文覚は膝を屈した。

しばらくは動かない。

やがて、面をあげすくと立ち上がった。

「皆、この寺を去るのだ」

「文覚殿、せめて仲間の死体を片付けさせてはくれぬか」

「ならぬ、鬼一らが手の者、こちらへ向かっていよう。すぐさま、ここ弘川寺

を立つのだ」

「それは、無体だ」

「無体だと。俺は今、友達を自らの手で殺し、嘆き悲しんでおる。味方だと

て、容赦はせぬ」

「文覚殿、我々を相手にされるというか」

「おお、お主らが、望むならばな」

「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていたのではないのか。それならば、最

後に西行から黄金のありかを聞くべきだったのではないか。先刻の西行の最後

の一言、その書状、何か意味があるのでは…」

文覚は、きりりと眦を聖たちの方に向ける。

「ふふう、そうだな。お主ら、義経殿が遺児のことを聞いてしまったな。や

はり、ここで始末をつけねばなるまいのう」

文覚は、残りの聖たちの方に、ゆっくりと八角棒を向けた。

半刻後、鬼一法眼おにいちほうがんの率いる山伏の一団、結縁衆が、弘川寺の周りに集まってい た。

「血の匂いがいたします」偵察の一人が言う。

「遅うございましたか」山伏たちは、西行の草庵をあうちこち調べる。

「襲い手たち、すべて死に耐えてこざる」

数人の体や首に、桜の枝が、ふかぶかと突き刺さっている。 桜の枝が朱に染

まり生々しい。

「ふふ。さすがは西行殿。殺し方も風流じゃ」

結縁衆のひとりがつぶやいた。

「せめて西行様がこと、我らの間で語り継ぎましょうぞ」

「おう、そうだ。それが我ら山伏の努めかもしれん」

「それが、供養でございましょう。西行様がこと、義経様がこと」

山伏たちは、草庵の後を片付け始めた。

鬼一はひとりごちた。

「さては、聖たちがしわざ、文覚殿か、重源殿か…」

建久元年(一一九〇)二月一六日、河内国弘川寺にて西行入滅。

西行の入寂後、すぐさま、東大寺の重源は、ある命令を発した。

再建中の大仏殿の裏山が、切り崩しである。その裏山に隠されていたものに

ついては歴史は語っていない。西行東大寺がどのような約束があったかは

不明である。

西行が、その最期に、文覚に託した手紙も不明である。が、頼朝はその書状

を見て青ざめた。

かくして、西行も歴史の中に、人々の記憶に伝説として生きる事となった。

(続く)

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務

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