yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

「とんでもない事件や事故が」という本の紹介です。

「とんでもない事件や事故が」という本の紹介です。 2004年09月09日
2000年発表の本の紹介原稿です。
X005エッセイ(世界観を変える)2000年の原稿 ■■■■■
――――――――――――――――――――――――――――――――――
佐藤俊樹/不平等社会日本/中公新書1537/2000年/660円
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
さよなら総中流。「とんでもない事件や事故がこれから起こりつづけるだろう
」です。「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、かなり急激な転
換を!。第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。キモはここです。

1.日本社会システム全体への疑問 2.IT革命について考えていきつつ私
は読書すると申し上げおります。そんな本がコレ。帯には、「崩壊する平等神
話」!。私は「団塊の世代は葉民になりつつある」論の人間ですが、これを読
んでまたまた納得。この本のキモのキモは、P128です。

■山田法則■本は途中から読め■です。(娯楽本は除く)
この本のキモ部分にショックを受けて、その前後を読みましょう。本の出だし
で、つまづかないように。さてP128です。

■「「団塊の世代」以降でも、この状態が続く限り「昭和ヒトケタ」が社会を
担っていた時代では、想像できなかったとんでもない事件や事故がこれから起
こりつづけるだろう」■

1995年以降、阪神大震災以降は特にひどいですね。と私は思います。

(想像できなかったとんでもない事件や事故がおこるのは)
■「責任感を持てないエリートと将来に希望を持てない現場の組合せでは、そ
うならない方がおかしい。会社が面白くないと言って離職する若い世代がふえ
るのも無理はない。何よりも彼ら彼女ら自身がこの空虚にとりつかれているの
だから。」■P128

■「「努力すればなんとかなる社会」から「努力しても仕方がない」社会へそして
「努力をする気になれない」社会へ、現代の日本は、そういう転換をそれもかな
り急激な形で経験しつつある」■P128

■「基礎的平等化による開放性に依存した産業社会や選抜システムが、W雇上
(ホワイトカラー雇用上層の略です)の階級化によって根底から大きく揺さぶら
れている」■P128

著者は佐藤俊樹東京大学助教授。専攻は比較社会学、日本社会論。この本は、1
995年の「社会回想と社会移動全国調査」(略称SSM調査)からの佐藤教授
の論です。この調査に対する他の方の論文は多くあり、佐藤教授とは結論が異な
るとのことです。でも私はこの先生の意見に賛成!です。新聞・雑誌の書評でも
異見ありの書評が多いです。が、サラリーマンの眼から見れば大当たりです。

この本は、P128のキモを見れば、読みたくなるでしょう。衝撃本です。
「親世代の豊かさが、教育と資産の2つの回路を通じて本人世代の豊かさに追加
される」(P75)
「80年代前半までの戦後の階層社会は、「それなりに努力すればなんとかなる
」社会になっていった」(P87)ここが2つめのキモ。

「W雇上(ホワイトカラー雇用上層)の家庭に生れたという既得権に「実績」を
つみ、そうすることで、その実績自体もまた既得権化してしまうのだ」「戦後の
日本では選抜競争が平等な競争であると信じられてきた。その中で「団塊の世代
」のように生まれによる有利不利が発生。しかし、今述べたような、既得権が実
績」化、「実績」が既得権化するメカニズムが働く」(P109あたり)

「日本のW雇上2世の中には自らの力に寄らないという事実すら全く気付かない
人もいる。」「平等社会の神話につながった時すべての人が自分と同じように生
活していると思いこんでいれば、みんな同じ条件で競争していると考えても不思
議ではない。けれども、それはW雇上の世界だしか知ろうとしないことであり、
もっと幼稚な自己中心的態度である」p110手厳しいが、当っているでしょう。

さらに同じくP120あたり。「1936年〜55年生まれの団塊の世代が、まさに日
本の選抜システムの転換点になっている。」
団塊の世代におきたW雇上の階級化は生れによる格差は縮まらない」考えを持
てば、社会も企業も腐っていくだけだ、という結論に達する」。だが、事実です。
本を抱いて自殺しそうになりますね。では、どうすればいいのか。救いはあるのか。

P140以降の4つの課題点を見て下さい。ヒント。「カリスマ美容師」もその
一例です。ここでは書きません。本屋にてご覧下さい。

知識エリート(この本で言えばホワイトカラー雇用上層)の階級化(生れによる
有利不利)が、団塊の世代の成長とともに進んでおり、1985年前後には、戦前の
日本より以上に階級社会となった。問題点は、その知識エリートがその認識もな
く、責任感もない。」

IT情報リテラシーに関する部分は第5章の2から、P156です。
「IT論上の情報リテラシーにおいても、知識エリートは既得権を持っている。
努力すればなんとかなる社会でなくなった日本では、産業の空洞化、無力感
、閉塞感に被われたれた社会となる」

IT革命に関する部分は、P159のあたりです。「父主職という目に見えない
資産の力は、伝統的な学校型の知識だけでなく、情報リテラシーという新しい形
態の知識にも及んでいる」
「1995年時点のパソコンワープロは、先進的機器であり、それらの所有が示
すのは、むしろ高度な知識・能力とされるものへのアクセスの良さである」
「日本の知識エリートは、西欧語の読み書き能力を核とした「教養」を標識にし
てきた。(中略)近代日本の「教養」は単なる文化や階層的標識ではなく、実利
的なものであった。そのメリットが薄らいだ今、情報リテラシーという新たな知
識形態が浮上しつつある」(P160)

第4章「総中流」の落日ー自壊するシステム。P106.ここから読み進みまし
ょう。

中央公論新社のアドレスは
http://www.yomiuri.co.jp/chuko/