yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

義経黄金伝説●第21回

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義経黄金伝説■第20回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)

■2 一一八六年文治2年 足利の荘・御矢山(みさやま)   

下野(しもつけ)国足利荘は、奥州平泉から続く奥大道が坂東にはいる陸奥
の国との国境にある。頼朝が平泉を攻めるなら前線基地となるところである。
この場所で、頼朝の命にしたがう坂東の武者たちがあつまり、神事として武
威を見せる祭りは坂東武者へのデモンストレーション効果を狙っている。
足利荘は、北東部に小高い丘陵地が綱なり、遠く奥州山脈に繋がっている。
その丘のひとつが御矢山(みさやま)であり、武神を祭る御矢神社が、近在
の武士の信仰を集めていた。その山懐の一角が、御祭りを行う、御矢神社競
技所が設けられていた。

この御矢神社御祭りでは、頼朝の命により、近在の所領を持つ地頭、御家人
に輪番で、頭役を命じていた。
御祭り御矢神社競技所には中央に広場があり、石の祠を中心に、長径390メー
トル、短径260メートルのコロシアム状に作られていて、その周りを、間隔
10メートルの土壇が10段北部斜面に向かって伸び上がっている。土壇は、御
家人各家の桟敷である。その並び方によって、鎌倉に対する忠誠心と権力構
造がわかるようになっている。

むろん中央には、源頼朝家族、そして舅の北条時政を中心とする北条家が
とりかこむ。天皇家勅使御桟敷があり、坂東の主な名家が、千葉氏、和田氏
、佐々木氏、梶原氏、足利氏、小山氏等が取り囲んでいる。

御神事が行われた後、武技である、弓戯、相撲が夫々に郎党の参加により行
われている。
有名な神事ゆえ、日本全国から、この祭りを目指して商人たちが集まってい
た。参道には、商人が日本各地の珍しい産品を広げ口上を述べている。白拍
子、道化師、放下師、曲芸師などが、歌を歌い、話芸を行い、面白おかしい
娯楽を、一般庶民にも与えている。

日本の軍旗である長旗(流れ旗)が、各家の家紋や、信仰対象である八幡菩
薩の文字などをあしらい、空風にはためいている。競技場に参加する華やか
な装束の騎射武者があたりを駆け抜けている。

通例祭りは五日間ぶっ通しで行われ、白拍子の舞、猿楽、田楽などが行われ
た後、武芸競技が行われるのである。
 「小笠懸」「相撲(すまい)」「草鹿」「武射」「競馬(くらべうま)」
などが、主な種目であった。このため五千人くらいの人々が、集まる。山
の中の儀式なので、宿泊のための仮小屋が、あちこちの丘上に立てられて
いる。屋根は尾花で葺かれている。

競技場の周りには、弓矢をしつらえた北条家騎馬騎士が警護している。西行
の荷駄隊は、頼朝との約束とうり、この御矢神社御祭りにたどりついている。

黒田の悪党との取引は、矢文とうり、この祭り跡で行われる。

黄金荷駄隊は、この祭りに集まる武家たちとは異彩を放っている。
鎌倉の御家人は、平家を先年滅ぼした勢いのある時期の鎌倉殿の祭りとはい
え、源頼朝は、まだ征夷大将軍の位を、京都の後白河法皇からいただいてい
ない。その源頼朝に、完全に承服はしていないのだ。それゆえ、何かの一大
事に備えて各家の騎射武者を武装させて、待たせている。御祭り会場は、一
種異様な緊張状態であった。

競技場からは、御家人たちの観戦のどよめきが聞こえてきた。その絶え間
ない歓声が、声が津波のように繰り返し、近在の山々にこだましている。

西行殿、こちらへ、」
西行は、頼朝の家人にゆうがまま、競技場に向かっていた。
東大寺闇法師、十蔵は、この競技場にたどり着く前に姿を消していた。
競技場の飾り手照られた門をくぐり、その道は、観客関にあたる土壇をつ
ききっている、西行は、競技場の真ん中に立たされていた。

観客の目が西行に注がれ、500名はいると思われる観客の目の圧力が押し寄
せてきた。急な演目の変更に、観客はどよめいていたが、
やがて、それは一瞬の静寂を呼んだ。
西行は、くらくらと、緊張し、少しよろめいた。

やがて、中央土壇にいる人物がゆっくりと立ち上がり西行にかたりかけた。
源頼朝である。
最初に、西行を扇子で指し示す。

「高き所より、失礼する。今は私がこの祭事の主催者なのでのう。聞いて
下され。御家人衆の方々。ここにおられるは、西行法師どの、元の名は、
佐藤 義清(のりきよ) 殿。鎮守府将軍藤原秀郷(ひでさと) 殿御子孫
ぞ。わが願いにて、ここ御祭りに来ていただいた」

驚きの声があがる。
平将門を討った藤原秀郷 は、この坂東地方でが、武士の鏡である。
「そしてまた、西行殿は、奥州藤原氏との御親戚だ」。
再び感動の声があがる。
「さらには、今、奥州藤原氏より、奈良大仏塗金用の砂金を運んでおられる」
三度、声が、ご家人からあがり、競技場に響きわたって。
頼朝は、この御家人の歓声を受けてほんのり顔を赤らめていった。

西行どの、ご安心めされよ。我々、鎌倉勢は、その砂金を奪おうとはいた
しませんぞ。このご家人衆の前で、西行殿と砂金の事をかたるは、道中の安
全をはかるため。この頼朝が、西行殿の安全をはかると言った以上、約定は
守らなければなりますまい」
頼朝は、さらに告げた。
「さらに、西行殿の弟、佐藤 仲清どのの所領、紀伊国田仲荘のご安堵をは
かりましょうぞ。。高野山との争いをおこしておられる。以前は、平清盛
殿から、安堵いただいたそうじゃが、今は、平家ではなく、我が源氏にま
かせらるが常道。おわかりか。そうじゃ、西行殿は北面の武士であられた
ときは清盛殿とご同輩と聞き及ぶ」
歓声は続いた。
土地の所有安堵に関して、鎌倉の源頼朝が握っている事を、知らしめてい
る。この御家人衆の前で、西行の氏素性を、検めるは、頼朝に、目的があ
ったのだ。
西行どの、先の月、鎌倉にて、古式よりの弓馬の道を教えていただきま
した。それゆえ、我が源氏の平家への、戦勝を祝うこの祭りにて、その秀
郷流の兵馬の道を見せていただけぬか。この板東の武家にのう、元々、佐
藤家ご出自は、板東下野と聞き及びます」

きっと、西行は、土壇段桟敷上の頼朝を見上げる。
「頼朝殿、黄金輸送を鎌倉殿が責任をもっていただけるというかのう」
西行はしばらく黙った
「あの砂金は、大仏を完成させて、天下静謐を願うために使うものじゃ。
きっと武士の約束を果たしていただけるか」
頼朝は、いらなぶ板東御家人もの前で、西行をにぎりつぶすつもりだ。
京都の武家平将門を倒し、藤原秀郷の9代目子孫、その子孫を、鎌倉
殿である、私、頼朝の前にひざまつかせるのだ。
また、奥州藤原氏の黄金の荷駄隊を見せる事により、これから握りつぶ
すべき、奥州藤原黄金王国が、黄金郷である事を示しそうとしていた。
武威の行為である。
頼朝は、平家を滅ぼしたその勢いをもって、奥州独立国を制服しょうと
する。
その象徴の儀式として、西行と、奥州荷駄隊、この板東の後家人に祭り
で見せたのだ。

奥州は、何度も、源氏の征服への挑戦を退けている。かたわらにいる大
江広元も、その証明。彼の祖祖父大江匡房(まさふさ)も、奥州へ攻め
入る戦略案を考えている大学者である。前九年の役(1051年から1062年
)、後三年の役(1083年から1087年)であった、
頼朝の4代前、源氏のスパースターである八幡太郎義家がその有名人で
あった。

が、今現在、最大の難敵は、、、義経である。
奥州黄金と義経が結びついた時、それを恐れる。鎌倉に攻め入る悪夢を
みるのだ、
そのてめには、西行をはじめ、奥州の守りのひとつ、ひとつ、を切り崩
しておく必要があった。まづは、西行、そして砂金である。

「わかり申した。約定をきちりと守らしていただく」
内心は冷や汗が流れているが頼朝はそれを見せるわけにはいかぬ。
むろん、傍らの大江広元もまた。

西行殿、ささ、こちらへ、」
西行の前に馬と武具が準備されえていた。
「どれでもお好きな馬と弓をお選び下され」
西行は、かって北面の武士の頃を思い出し打ている。
そして出家して後、30年にわたる高野山の荒行も。高野の山々千尋
谷、いまだにひやりとする。重源殿(ちょうげん)にお助けいただいた。
さらに、文覚(もんがく)にも、荒行中にあっている、重源殿は、奈良
東大寺で、西行、いや黄金の帰りをまっている。文覚は、この桟敷の
頼朝の隣にすわっている。
「佐藤家の名前を汚すわけには、いくまい」
この頃の家名は、絶対的価値である。

そして、頼朝が、西行藤原秀郷の九代目を呼ばわった事は、ある種の
確認であり、西行の隠れた望みであった。藤原秀郷の正当なる後継者で
あると、ご家人どもが認めてのである。

この家名以外にも、西行が貫徹しなければならない約束がある。それ
は、慈円(じえんー藤原兼実の弟)や、藤原定家と行っている
「しきしま道」の完成である。これが完成すれば、言葉によっても、
日本は、京都王朝は、守られるであろう。
歌集の完成をみなければならぬ、それまでは、西行は生き述べなけれ
ばならないのだ。
そして、それは、京都の今はなきあの麗しい方への、生涯をかけた西
行の約束の貫徹である。
走馬燈のように、西行の頭の中に、京都の思い出が蘇る、、

が、前には、的が準備されている。1町は続く流鏑馬道がのびていて
、観客の武家の人間がかたずを飲み、秀郷流の腕前を見ようとして
いた。
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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