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山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

源義経黄金伝説■第61回★建久三年(1192)3月13日、後白河法皇、66歳で崩御。「わが王朝と貴族の連枝を守るのだ。藤原の兼実殿のお役目ぞ」と遺言する。

YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと
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サブタイトル

源義経黄金伝説■第61回★建久三年(1192)3月13日、後白河法皇、66歳で崩御。「わが王朝と貴族の連枝を守るのだ。藤原の兼実殿のお役目ぞ」と遺言する。
前書き

後白河法皇の最愛の人、丹後局たんごのつぼね高階栄子が、藤原(九条)兼実をせかす。

「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。猊下のお言葉です」。

 

「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。皆々、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝れんしをもって我が王朝を助けよ。まもれよ」

 

「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」

 

「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。「しきしま道」和歌により、、言葉にて、我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、 断じて我が領土は、ふめぬ、、わ」

 

言葉による防衛網が、張られていると、後白河法皇はいうのだ。

 

本文

源義経黄金伝説■第61回★

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

http://www.yamada-kikaku.com/

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■ 建久三年(1192)3月13日京都

後白河法皇の御殿に藤原(九条)兼実が現れる。

後白河法皇の最愛の人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。

彼女が丹後局たんごのつぼねである。

 

法皇の部屋には、病人独特のにおいが立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった。

兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。

 

病床にある後白河法皇は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と

弱々しげに言った。

 

「ははつ、後白河法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」

「そばに行かれよ」

後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。

 

「朕の遺言じゃ聞いてくだされ」

「、、、、」

「よいか、それぞれの貴族の家は、古式ののっとり、各家々の特異技を家伝とされよ」

 

「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」

藤原兼実も、すでに藤原氏の氏の長者うじのちょうじゃになっているのだ。

 

「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか。兼実殿」

後白河法皇が、言った。

高階栄子が、兼平をせかす。

「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。猊下のお言葉です」。

 

「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。皆々、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝れんしをもって我が王朝を助けよ。まもれよ」

 

「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」

 

「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。「しきしま道」和歌により、、言葉にて、我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、 断じて我が領土は、ふめぬ、、わ」

 

西行法師を始め和歌によって、言葉による国家の霊的防衛網が、張られていると、後白河法皇はいうのだ。

 

「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」

 

「まずは藤原定家が先陣かと考えます」

 

法皇は、急に目をつぶり、静かになる、

「母君、兄君。いまおそばにまいらせましょう。目宮めのみや君、萎宮なおのみや君もな」

法皇は、4人目の宮、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。

目宮は眼が見えず。萎宮は体が動かなかったのだ。

 

「御家を、それぞれの家を、古式由来の技で守ってくだされや。いにしえよりの我々貴族のわざこそ我ら貴族を守る。朕の遺言ぞ、、」

 

「兼実殿、、、」

 

「はっつ」

「お、お主とは、、最後まで、、分かり合える事は、、なかった、、な」

「、、」

「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」

 

「よいか、藤原の兼実殿のお役目ぞ」

丹後局である高階栄子が、かたわらで繰り返す。

 

法皇の様態が変化した。

「弁慶に謝ってほしい。お、お前から伝えてくれぬか、、」

「弁慶どの、、ですか、、」

兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世

の人ではないことを忘れている。

 

4年前1189年文治5年4月30日に衣川でなくなっている。

 

「兼実殿、猊下のお言葉にあわせられよ」高階栄子が、叱咤する。

 

「朕は、この父は、悪人であった。弁慶お前を我が王朝の闇法師として使ってのう、許してくれ。お前の一生を犠牲にしてしまっての」

 

法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。

兼実が弁慶に見えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。

 

弁慶は法皇の子供だった。

 

「朕はな、この京都を守りたかった。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人

どもに政権は渡せぬぞ。

血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝藤原秀衡に渡してなるものか」

 

しばらくは沈黙が続く。

 

「そうじゃ、西行は、西行はどこだ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。

早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうだ、平泉にの霊

御殿をつくる話は、、いかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」

 

兼実は、西行になったつもりで、告げた。

西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」

「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい

か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」

 

法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲

撃によって焼き払われていた。

 

八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くから望見できた院政と京との象徴であったが、今はそれもない。

 

法皇、安んじなされませ。やや、経文をお読みくだされ…」

「おお、そうだ。そうだ」

後白河は、経文を六度唱えた、そして静かに。院政最期の巨人は崩御された。

 

猊下…」

丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。

 

しかし、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、考える。

 

これで、、頼朝殿に征夷大将軍の位を与えることができる。

 

藤原(九条)兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。

 

建久三年(1192)3月13日、後白河法皇崩御。66歳であった。

 

その昔、西行崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。

西行は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに、崇徳上皇白峰神宮をつくることを約束していたのである。

 

(続く) 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

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源義経黄金伝説■第60回 建久元年(一一九〇)三月 京都 落ち込んでいる、師匠の文覚を明恵(みょうえ)と戒名した夢見がたづねる。 「この手で 西行をあやめたのだ。頭にこびりつく。」

YG源義経黄金伝説■一二世紀日本の三都市(京都、鎌倉、平泉)の物語。平家が滅亡し鎌倉幕府成立、奈良東大寺大仏再建の黄金を求め西行が東北平泉へ。源義経は平泉にて鎌倉を攻めようと
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サブタイトル

源義経黄金伝説■第60回 建久元年(一一九〇)三月 京都 落ち込んでいる、師匠の文覚を明恵(みょうえ)と戒名した夢見がたづねる。 「この手で 西行をあやめたのだ。頭にこびりつく。」
前書き

後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家ふじわらていかが呼ばれている。

西行の名前を残して起きたいのだ」

西行様の歌を後世に残す、麻呂も賛成でございます、で、いかかななりあいといたしましょう

や」

「よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのだ。 西行法師を歌

聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国

の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」

 

後白河法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する命令がうづまいていた。

「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝

ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家のたいするわが王家の 仕組

みをどうすすか」

西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河法皇は考えているのだ。

 

が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。

 

 

源義経黄金伝説■第60回

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

http://www.yamada-kikaku.com/

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■ 建久元年(一一九〇)三月 京都

後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家ふじわらていかが呼ばれている。

西行の名前を残して起きたいのだ」

 

西行様のおお名前を、麻呂も賛成でございます、で、いかかな手立てを施しましょうや」、

 

「よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのだ。 歌

聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いとなろう。 わが国

の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」

 

法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。

「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝

ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組

みをどうするか」

西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。

 

が、後白河法皇は、弟、崇徳上皇の霊にも対応をせねばならなかった。

 

西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳上皇を祭り、北の都の祭りとし、頼

朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いて

いた。奥州平泉は先年(1189年)文治5年に頼朝の手におちている。

 

おう、身震いがした、

 

崇徳上皇が悪霊か、、 後白河法皇は遠く讃岐の方を見た。

後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、

 

それが憎しみを深めた。そのあたりの事情は西行法師がよく理解していた。

 

■2 建久元年(一一九〇)三月 京都

 

文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺じんごじにて打ち沈んでいる。

お師匠様、いかがなされました」

夢身、今は明恵みょうえと名前を改めている。

 

「おう夢見か、ワシはな。この手で

西行をあやめたのだ。それがのう、頭にこびりつく。また。

ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのだ。

いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」

 

「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」

「そうだ」

文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の

夢見、明恵の、その文覚の言葉を聴いての動揺も気づいではいない。

夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。   

 

           ■

仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。

「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿は

おられるか」

「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、

私にお伝え下させませ」

「あ、いや、夢見殿がおられれば十分だ」

 

夢見は、西行を部屋に入れている。

急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。

「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」

「え、何か、」

 

「この日の本のことだ、たくすべきは、おぬししかあるまい」

西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。

「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事は

お師匠様に、お伝え下さい」

「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのだ」

 

夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふき

あげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣

の鳴き声が響く。

 

「この国は今変わろうとしておる。が、わしの命も、もうつきよう」

しみじみと言った。

 

「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。

わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。

この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた

戦でなくなれれていよう」

 

「それは、いささか、私の手には、重もうございます」

「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」

「それは、お師匠様が」

 

「いや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に

結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを

作っていただきたい」

 

「仕組みとは」

「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法

を守り、行ってきた。これから新しく規範が必要なのだ。世の基準をつくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい。 いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には 北条殿が、この世の中を動かすであろう」

 

「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおられましょう」

 

西行は冷笑した。

「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは

源頼朝の大殿か、大江殿か」

 

西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。

 

「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」

 

「二人の秘密になるのじゃ。

北条殿を助け、その世の仕組みと基準である、ことわりを作られるのだ」

 

「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」

 

「あの東大寺の方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方が ござろうて」

西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。

 

■ 続く)20191128改訂

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所

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源義経黄金伝説■第60回 建久元年(一一九〇)三月 京都 落ち込んでいる、師匠の文覚を明恵(みょうえ)と戒名した夢見がたづねる。 「この手で 西行をあやめたのだ。頭にこびりつく。」
前書き

後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家ふじわらていかが呼ばれている。

西行の名前を残して起きたいのだ」

西行様の歌を後世に残す、麻呂も賛成でございます、で、いかかななりあいといたしましょう

や」

「よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのだ。 西行法師を歌

聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国

の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」

 

後白河法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する命令がうづまいていた。

「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝

ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家のたいするわが王家の 仕組

みをどうすすか」

西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河法皇は考えているのだ。

 

が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。

 

 

源義経黄金伝説■第60回

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■ 建久元年(一一九〇)三月 京都

後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家ふじわらていかが呼ばれている。

西行の名前を残して起きたいのだ」

 

西行様のおお名前を、麻呂も賛成でございます、で、いかかな手立てを施しましょうや」、

 

「よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのだ。 歌

聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いとなろう。 わが国

の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」

 

法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。

「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝

ものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組

みをどうするか」

西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。

 

が、後白河法皇は、弟、崇徳上皇の霊にも対応をせねばならなかった。

 

西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳上皇を祭り、北の都の祭りとし、頼

朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いて

いた。奥州平泉は先年(1189年)文治5年に頼朝の手におちている。

 

おう、身震いがした、

 

崇徳上皇が悪霊か、、 後白河法皇は遠く讃岐の方を見た。

後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、

 

それが憎しみを深めた。そのあたりの事情は西行法師がよく理解していた。

 

■2 建久元年(一一九〇)三月 京都

 

文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺じんごじにて打ち沈んでいる。

お師匠様、いかがなされました」

夢身、今は明恵みょうえと名前を改めている。

 

「おう夢見か、ワシはな。この手で

西行をあやめたのだ。それがのう、頭にこびりつく。また。

ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのだ。

いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」

 

「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」

「そうだ」

文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の

夢見、明恵の、その文覚の言葉を聴いての動揺も気づいではいない。

夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。   

 

           ■

仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。

「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿は

おられるか」

「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、

私にお伝え下させませ」

「あ、いや、夢見殿がおられれば十分だ」

 

夢見は、西行を部屋に入れている。

急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。

「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」

「え、何か、」

 

「この日の本のことだ、たくすべきは、おぬししかあるまい」

西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。

「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事は

お師匠様に、お伝え下さい」

「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのだ」

 

夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふき

あげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣

の鳴き声が響く。

 

「この国は今変わろうとしておる。が、わしの命も、もうつきよう」

しみじみと言った。

 

「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。

わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。

この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた

戦でなくなれれていよう」

 

「それは、いささか、私の手には、重もうございます」

「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」

「それは、お師匠様が」

 

「いや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に

結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを

作っていただきたい」

 

「仕組みとは」

「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法

を守り、行ってきた。これから新しく規範が必要なのだ。世の基準をつくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい。 いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には 北条殿が、この世の中を動かすであろう」

 

「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおられましょう」

 

西行は冷笑した。

「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは

源頼朝の大殿か、大江殿か」

 

西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。

 

「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」

 

「二人の秘密になるのじゃ。

北条殿を助け、その世の仕組みと基準である、ことわりを作られるのだ」

 

「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」

 

「あの東大寺の方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方が ござろうて」

西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。

 

■ 続く)20191128改訂

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桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その2 桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その3

桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その2


SAKURA.Hanami.oumihachiman31. 近江八幡市・花見。•2014/04/



桜満開 Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市/滋賀県012•2016/04/10



SAKURA.Hanami.oumihachiman68. 近江八幡 花見 八幡堀夜景•2014/04/16



SAKURA.Hanami.oumihachiman. 近江八幡市・花見•2014/04/15



Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市/008•2016/04/10



SAKURA.Hanami.oumihachiman. 近江八幡市・花見。•2014/04/15



桜満開 Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市/011•2016/04/10



Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/036•2016/04/10

 

桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その3


0SAKURA.Hanami.oumihachiman29. 近江八幡市・花見•2014/04/15


hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/054•2016/04/09
https://youtu.be/WqSubsgWQXg

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Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/039•2016/04/10


Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/034•2016/04/09


Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/047•2016/04/09


Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/019•2016/04/10


Hachimanbori-moat,Omihachiman-city shiga-ken 近江八幡市・八幡掘/033•2016/04/10




桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その2

桜。近江八幡市・八幡掘 2016/04/09 その2


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源義経黄金伝説■第59回 1190年(建久元年) 葛城弘川寺桜吹雪の降るなか 荒法師文覚がと繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚を 西行の拳がついている。

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源義経黄金伝説■第59回 1190年(建久元年) 葛城弘川寺桜吹雪の降るなか 荒法師文覚がと繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚を 西行の拳がついている。
 

源義経黄金伝説■第59回

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■ 1190年(建久元年) 葛城弘川寺

 

荒法師、文覚が、次々と繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚の体が浮いた瞬間を

西行の拳がついているのだ。

 

文覚が八角棒で次々と颶風を起こし、西行の体を狙うが、西行は風のように

擦り抜けている。回りで見ている文覚の部下たちも、二人の動きの早さに驚

いている。七十才の老人同志の争いとは見えぬ。

 

ここ、河内葛城の山を背景に、桜吹雪の降るなかで、二匹の鬼が舞い踊ってい

る。一瞬、その時がとまり、桜の花びらが、どうと上に吹きあげられる。

 

一瞬、文覚の一撃が、西行の胸に深々ととらえた。突き刺さっている。常の西

行ならば、避けられないものではない。西行の体は地に付している。文覚は西

行をだきおこす。

 

「これで、気が済まれたか、文覚殿」

西行はいきたえだえに言う。

 

「なぜじゃ、西行。なぜ、わざとおれにやられた」

「ふふう、お主に対する義理立てかな。ふふう」

ふと、西行のある歌が文覚の頭を掠めた。『願わくば花のしたにて春しなむ

その如月の望月のころ…』

 

「くそっ、西行、いやな奴だな、お主は。最期まで格好をつけよって、自ら

の死に自らの歌を合わせよったか」

 

「そうだ、しきしま道のものならば、、文覚殿、我々の時代も終わりぞ」

「清盛殿、死してすでに七年か」

文覚、西行、清盛は、同じ北面の武士の同僚であった。

 

「文覚殿、最後に頼みがござる」

「頼みじゃと、さては貴様、俺にその約束を守らせるために、わざと…」

 

義経殿の遺子、義行殿に会うことがあれば、助けてやってくれぬか」

「義行をな、あいわかった」

文覚は顔を朱に染めている。

 

「ありがたい。俺はよき友を持った」

西行よ、安んじて璋子たまこ様の元へ行かれよ」

 

「おお、文覚殿、その事覚えていたくだされたか」

「しらいでか」

西行は、一瞬思い出している。

     ●

西行殿、よく来てくだされた。この璋子たまこの最期の願を聞いてくだされ」

「璋子様、最期とは何を気弱な事を」

 

待賢門院璋子けんれいもんいんたまこが病床に横たわっている。

この時代の人々は、この世のものならず美しい姫君を、竹取物語

ちなんで「かぐや姫」と呼んだ。白河法皇にとってのかぐや姫は璋子だった。

そして西行の悲恋の対象である。

西行殿、自分の事はよくわかります。我が入寂せし後、気がかりな事ございます。その後の事を西行殿におまかせしたいのじゃ」

「お教えくだされ」西行は、やつれぐあいに、感がきわまり声がかすれる。

「璋子様。」

 

「我皇子たちのことじゃ」

「、、、、」

 

「影でささえてくだされや。璋子の最期の願じゃ」

璋子は、西行の手をしっかりとつかんでいる。が弱弱しいのが、西行にはわかる。

思わず、頬をつたわるものがあった。

「わかりました。璋子様、我命つくるまで、お守りいたしましょう」

宮廷恋愛の果て、待賢門院璋子のため、西行は、2人の皇子を守ろうとした。

 

2人の皇子とは、19歳の折りの皇子、後の崇徳法皇と、27歳の折の皇子、後の

白河法皇である。待賢門院璋子は、鳥羽天皇中宮であった。この親子兄弟

対立相克劇が、保元平治の乱の遠因となる。

     ●

 

最期に、西行は、目を開け、文覚を見た。

そして、懐から、書状を出す。

「文覚殿、頼朝殿への書状だ。またワシの最期、奈良の重源殿に伝え下され」

西行は目を閉じた。

「く、」 文覚は膝を屈した。

しばらくは動かない。

やがて、面をあげすくと立ち上がった。

 

「皆、この寺を去るのだ」

「文覚殿、せめて仲間の死体を片付けさせてはくれぬか」

「ならぬ、鬼一らが手の者、こちらへ向かっていよう。すぐさま、ここ弘川寺

を立つのだ」

「それは、無体だ」

「無体だと。俺は今、友達を自らの手で殺し、嘆き悲しんでおる。味方だと

て、容赦はせぬ」

「文覚殿、我々を相手にされるというか」

「おお、お主らが、望むならばな」

 

「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていたのではないのか。それならば、最

後に西行から黄金のありかを聞くべきだったのではないか。先刻の西行の最後

の一言、その書状、何か意味があるのでは…」

文覚は、きりりと眦を聖たちの方に向ける。

 

「ふふう、そうだな。お主ら、義経殿が遺児のことを聞いてしまったな。や

はり、ここで始末をつけねばなるまいのう」

文覚は、残りの聖たちの方に、ゆっくりと八角棒を向けた。

 

半刻後、鬼一法眼おにいちほうがんの率いる山伏の一団、結縁衆が、弘川寺の周りに集まってい た。

「血の匂いがいたします」偵察の一人が言う。

「遅うございましたか」山伏たちは、西行の草庵をあうちこち調べる。

「襲い手たち、すべて死に耐えてこざる」

 

数人の体や首に、桜の枝が、ふかぶかと突き刺さっている。 桜の枝が朱に染

まり生々しい。

「ふふ。さすがは西行殿。殺し方も風流じゃ」

結縁衆のひとりがつぶやいた。

 

「せめて西行様がこと、我らの間で語り継ぎましょうぞ」

「おう、そうだ。それが我ら山伏の努めかもしれん」

 

「それが、供養でございましょう。西行様がこと、義経様がこと」

山伏たちは、草庵の後を片付け始めた。

鬼一はひとりごちた。

「さては、聖たちがしわざ、文覚殿か、重源殿か…」

 

建久元年(一一九〇)二月一六日、河内国弘川寺にて西行入滅。

 

西行の入寂後、すぐさま、東大寺の重源は、ある命令を発した。

 

再建中の大仏殿の裏山が、切り崩しである。その裏山に隠されていたものに

ついては歴史は語っていない。西行東大寺がどのような約束があったかは

不明である。

 

西行が、その最期に、文覚に託した手紙も不明である。が、頼朝はその書状

を見て青ざめた。

 

かくして、西行も歴史の中に、人々の記憶に伝説として生きる事となった。

 

(続く)

 

作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務

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