yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

義経黄金伝説●第6回

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義経黄金伝説■第6回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第1章5 一一八六年 鎌倉

 鎌倉に向かう西行の頭の中に奈良での会話

が思い起こされた。
一一八〇年の平家による南都焼き打ちにより

東大寺及び大仏は焼け落ちていた。
都の人々は、何と平家の横暴なことを考えた

。また、貴族の人間にとっては、
聖武帝以来の、いわばふれざる東大寺を焼き

打ちする平家の所業が人間以外の
ものに思え、また自分のために属する階級に

危機が及んでいると考えざるを得
なかったのである。
 東大寺大仏は硝煙の中、すぐに再建に着工

され、すでに大仏は開眼供養が一
一八五年、後白河法皇の手で、行われていた

。大仏を囲う仮家屋や、回りの興
福寺を中心とする堂宇の修復が急がれていた
。今、南都は建築ラッシュを迎え、活気に満

ちていた。

 西行東大寺焼け跡にある仮建築物にいる

重源(東大寺勧進僧)を訪ねてい
る。
重源は齢六十五才であったが、精力的に各地

を遊説し、東大寺勧進を行ってい
た。また全国に散らばらせている勧進聖から

、諸国の様子が手にとるように分
かった。
 勧進聖は、当時の企業家でもある。技術集

団を引き連れ、資材を集め、資金
も集める。勧進の場合、費用のために半分、

残りの半分は聖の手元に入る。西
行は、佐藤義清という武士であった頃は、鳥

羽院の北面の武士であった。西行
の草庵は、鞍馬、嵯峨などで、草庵生活を送

っていた。

草庵といっても仙人のように山奥に一人孤独

に住む訳ではない。この当時の聖
の住む位置はほぼ決まっていた。そして藤原

家を縁とする寺塔が立て並んでい
る。別に難行苦行の生活をするのではない。

政事の流れから外れて、静かに物
事を考えるのである。
日々の方便については、佐藤家は藤原家の分

家であり、大豪族であった。その
日々の心配はないのだ。
「重源殿、お久しぶりでございます。このた

びの大勧進抜でき、誠に祝着至
極」
「おお、これは西行殿。わざわざ伊勢から奈

良まで御足労おかけいたします。
実はお願いがござる。西行殿の高名にすがり

たいのです」
 数日前、伊勢の庵に重源の使いが訪ねてき

て、ぜひ東大寺再建の様子を見に来てほしい

というのだ。重源が呼ぶからには、これは大

事と思っている西行だった。
若き頃、高野山の聖時代に知り合った二人だ

ったが、すでに重源は二度宋に渡
って、建築土木のテクノクラートとして帰国

していた。
 国の政府と結び付いていた宗教は、南都北

嶺であり、中世は禅宗となる。栄
西は臨済宗禅宗である。

「はて、それは……」
「奥州に行ってきていただきたい。奥州は遠

聖武帝の時代より、黄金の産
地。できますれば、金をこの東大寺のために

調達いただけまいか。平泉は黄金
の仏教地と聞き及びます。もし、藤原氏との

交渉なれば、黄金が手に入りまし
ょう」
 重源は、西行奥州藤原氏とのかかわりあ

いを知っていた。この言葉は重源
から出ていたが、無論,話の出所は朝廷に違

いなかった
。それに時期が時期だ。この時期に奥州へ、

それは朝廷から藤原氏へのある種の意向を伝

えるために違いない。思ったより大きい仕事

。が、これも私を信
じておられるゆえんか。私の最後の一働きに

なるかもしれん。西行は思った

「それと、これは平泉におられる方々への手

土産じゃ」
「何でござりますかな。重源殿のことでござ

いますから」
「これは…」
 鎌倉の絵図面だった。
「ありがたく頂戴いたします」
西行の顔色は変わっている。
「あの方の役に立てばよろしいですが」
「役に立ちますとも。では、重源様は、私に

町をよく見て参れと」
「そうです。その鎌倉が様子を、詳しく書状

に認めてきだされ。さすれば、重
源、いろいろな技術と語らい、新たな計画書

をお作りしましょうぞ」
「ありがとうございます」
「よろしいか、重源がかようにするは、京都

のためにでございます」
が、西行は重源はさりげなく秀衡たちに、自

分の腕前を披露しようとしていることに気が

ついている。
 西行が去ったあと、重源に、雑色(ぞうし

き)が話しかけた。
「お師匠、この御時世でございます。西行

がため、東大寺闇法師を護衛に付けた方がよ

ろしいのではございませんか」
「おう、よい考えじゃ。誰か心当たりの者は

おるのか」
重源は、はたと気付く。
「十蔵が、いま高野山から降りてきておりま

す」
「わかった。ちょうどよい。十蔵を呼べ」
 僧衣の男、十蔵が重源の前に呼ばれる。十

蔵は東大寺のために荒事を行う「東大寺闇法

師」である。「闇法師」は僧兵の中から選ば

れた、いわばエリート戦士である。十蔵は陰

のように重源の前に、出現していた。

その突然の現れ方は、重源を驚かせる。
「十蔵、わざわざ、かたじけない。今度の奥

藤原氏への西行殿の勧進、大仕
事だぞ。西行殿にしたがって奥州に行ってく

れるか」
「あの西行さまの……わかりもうした」
「さて、十蔵、今述べたのは表が理由じゃ」
「重源様、まだ別の目的があるとおっしゃい

ますか」
「さようじゃ。西行殿、俺が思いどおりには

動いてくださらぬ可能性がある。
ましてや、この時世。頼朝殿、奥州藤原氏

一戦構えるかもしれぬ。いいか十
蔵、西行殿が我々を裏切らぬとも限らぬ」
西行様がお師匠様を裏切ると。しかし、西

行様は、もう齢七十でございまし
ょう」
「いや、そうじゃこそ、人生最後の賭けにで

られるかもそれぬ。西行殿は義経
殿と浅からぬ縁がある。この縁はばかにはで

きぬ。こころしてかかれよ」
重源は気迫のこもった眼差しで、十蔵に命じ

た。

重源にとっても、この大仏再建の仕事は大,

仕事。失敗する訳にはいかなかっ
た。重源は、すでに自らを歴史上の人物と認

識している。
 重源の使命。いや生きがいは、今や東大寺

の再建であった。先に重源は平家の清盛から

依頼され、神戸福原の港を開削していた。こ

の日の本に、重源以上の建築プロデューサー

は、存在しないのである。「支度一番」の名

声は、重源のもの。
 重源は世の中に形として残るものを、生き

ている間に残しておきたかったの
である。
重源の背後には宋から来た陣和慶という建築

家がいた。
また朝鮮半島から渡ってきた鋳物師もいる。

そして、有り難いここにに運慶、快慶が同時

代人であった。この日本のミケランジェロ

ちは、運慶工房とも思える工房システムを作

り上げ、筋肉の動きを正確に表す、誠に力強

い存在感のある彫刻像を続々と作り上げてい

った。日本の始まって以来、二度目の建築改

革の波が押し寄せて来たかのようであった。

「重源様のご依頼ならば。断るわけにもいき

ますまい」
十蔵はにやりと笑う。
そしてつけくわえた。
「承知いたしました。が……」
闇法師は自らの意志などもたぬ。その闇法師

の十蔵が、何らかの意向を重源に告げようと

していた。不思議な出来事であった。
「何か、まだ疑問あるのか」
 切り返す十蔵の問いにはすごみがあった。
「死に場所がありましょうか」
 重源はその答えに冷汗をかき答えた。
(死に場所だと、闇法師は東大寺がために死

ぬことが定めぞ)
。が、その十蔵とかいう男は、別の死に方を

求めている。それも自らが闇法師中の闇法師

という自信を持って言っているのだようやく

重源は答えた。
「時と事しだいぞ」
 それにたいして平然と言う十蔵。
「わかりもうした」
 十蔵はすばやく姿を消した。
「十蔵め、この仕事で死ぬつもりか」
 重源は、十蔵が消えた方向を見遣り、つぶ

やく。
「まあまあ、重源殿。そう悩まずともいいで

はないか。十蔵殿にまかしておか
れよ。茶を一服どうじゃ」
 話を聞いていたのか、後から一人の重源よ

り若い僧が手に何かを持って現れている。
巨大な頭のハチに汗がてかっている。栄西

あった。重源と栄西は、留学先の
中国で知り合い、友人となっていた。
 そして、栄西は、仏典とともに、日本の文

化に大きな影響をもたらす「茶の
苗」を持ち帰っていた。栄西が手にしている

のは、茶である。まだ、一般庶民
は、手に入れることができぬものである。
「ほほう、どうやら、茶は根付いたと見える

。よい匂い、味じゃ。妙薬、妙
薬」
 重源は、栄西が差し出す茶碗を、うまそう

に啜った。
「さすがじゃのう、栄西。よい味じゃ」
 その重源の様子を見て、栄西が尋ねる。
「重源様、どう思われます。この茶を関東武

士たちに、広めるというのは」
「何と、栄西。あの荒々しい武者ばらに、こ

の薬をか…」
重源はすこし茶に噎せた。
 重源は少し考え込む。やがて意を決して、

若者のように眼を輝かせながら言
った。
「いい考えかも知れぬ。思いもかけぬ組み合

わせだが。貴族よりも、むしろあ
の武人たちをおとなしくさせる薬効があるか

もしれぬ」
(なるほど、栄西はおもしろいことを考える

)。
 重源や栄西には、自負があったのだ。日の

本を実質動かしているのは、貴族
でも武士でもない。我々学僧なのだ。僧が大

和成立より、エリート階級とし
て、日の本のすべてを構築してきたのだ。そ

れを誰もが気付いておらぬ。が、
大仏再建がすでに終わり、この東大寺再建が

済めば、我々の力を認めざるを得
まい。
重源の作るものは形のあるもの。そして、栄

西は、茶というもので、日の本を
いわば支配しようとしている。おもしろいと

重源は思った。
 (続く)
(C)飛鳥京香・山田博一

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