yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

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義経黄金伝説●第9回

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義経黄金伝説■第9回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
http://www.geocities.jp/manga_ka2002/



第2章3 1186年 鎌倉■■
 頼朝屋敷を出た、西行の背後から声が掛かる。西行
後方を振り向く。
西行殿、ここで何をしておるのじゃ」
(聞いたことのある声だが…、やはり、)
頼朝の荒法師にして政治顧問、文覚(もんがく)が、後ろに立っている。傍らに弟子である、すずやかな眼差しをした小僧をはべらしている。
「おお、これは文覚殿。先刻まで、大殿(頼朝)様と話をしておったのじゃ」
「話じゃと、何かよからぬ企みではあるまいな」
 文覚は最初から喧嘩腰である。
文覚は生理的に西行が嫌いだった。
西行は院をはじめ、貴族の方々とも繋がりをを持ち、いわば京都の利益を代表して動いているに違いない。その西行がここにいるとすれば、目的は怪しまなければならない。
西行、何を後白河法皇(ごしらかわほうおう)から入れ知恵された」
 直截に聞いている。元は、後白河法皇様から命令され、伊豆の頼朝に旗をあげさせた文覚であったが、今はすっかり頼朝側についている。それゆえ、この時期に、この鎌倉を訪れた西行のうさん臭さが気になったのだ。
「さあ、さあ、もし、大殿に危害を加えようとするならば、この文覚が許しはせぬぞ」
 西行も、この文覚の怒気に圧倒されている。

文覚は二〇年ほど前を思い起こした。
1166年京都。
西行め、ふらふらと歌の道「しきしまみち」などに入りよって、あいつは何奴じゃ」
 文覚は心の底から怒っていた。文覚は怒りの人であり、直情の人である。思うことは直ぐさま行い、気に入らぬことは気に入らぬと言う。それゆえ、同じ北面の武士(ほくめんのぶし)のころから、そりが合わないでいた。

西行が、佐藤義清(さとうのりきよ)という武士であったは、鳥羽院(とばいん)の北面の武士。院の親衛隊である。西行は、いわば古代豪族から続く政治エリートであり、それがさっさと出家し、歌の道「しきしまみち」に入った。それも政治家など上級者に、出入り自由の聖(ひじり)である。

 いわば、北面の武士よりも自由を得、知己も増えたのである。それが故、文覚の気に入らなかった。
 文覚の罵詈雑言は、京都になり響いていた。やがて、後白河法王に対する悪言が、後白河の耳に入って来たのである。
「私のことを悪し様にいう、文覚とか申す僧主おるそうな」
「これは法皇様のお耳を汚しましたか。厳重に叱り付けましょう」
「よいよい、その文覚という男に、朕も会ってみたいのじゃ」
「これは、法皇様も物好きな」
 やがて、文覚が、法皇の前に呼ばれて来る。 法皇に対して正々堂々と政治の有り様を述べる文覚は、流石である。一応し
ゃべり終えたと思われる文覚に、後白河は思いも付かぬ言葉を告げた。
「どうじゃ、お主、面白い男じゃ。いいか、伊豆へ行ってみぬか」
「伊豆ですと」意外な言葉に言葉もない。
「そうじゃ、伊豆じゃ」
「何を申される。このおり、私を罪に落とされるつもりか」
「いや、そうではない。良く聞け。源氏の頼朝が伊豆に流されておる。その男に会って欲しいのじゃ」
文覚は頼朝を説得していた。1180年永暦元年、今から6年前のことである。
文覚は、頼朝を前に懐の袋から、古びた頭蓋骨を取り出していた。
「頼朝殿、この髑髏、どなたの髑髏と思われる」
 このとき、すでに文覚の幻術中に、頼朝は入っている。
無論、そんなはずはない。それゆえ、常人の常識は通じない。文覚の声が、遠くから聞こえて来るようであった。
「亡き父君の骨ぞ」
といい、文覚は涙を流した。
「見られよ。平清盛のために殺された父義朝殿の成れの果てじゃ。何も思われぬか。お主は義朝殿の子供ぞ。お前に今源氏
氏長者は、お主じゃ。頼朝殿、この平家の中でお主が、今立ち上がらなければ、誰が立つというのじゃ。父君、また源氏の恨み、このおり晴らすべきではないか。それが「人の道ぞ」。 文覚は大きな声で、一気にしゃべり終えた。頼朝の質問の暇など与えはしない。頼朝も、もう文覚の言語の勢いに飲まれるようだった。
 本来ならば、判断力の鋭い頼朝であったが、このおりは熱病に取りつかれたようであった。
「よし、余が源氏の旗をあげるのじゃ」
サイは投げられていた。が、本当の振り手は、京都にいた。後白河法皇である。
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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