yamada-kikaku’s blog(小説ブログ)

山田企画事務所のペンネーム飛鳥京香の小説ブログです。

義経黄金伝説●第4回

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義経黄金伝説■第3回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第1章 一一八六年 
第1章6 一一八六年 京都・後白河法皇

ごしらかわ
ほうおう)の宮殿
 遠くに見える比叡山を背景に人々のざわめ

きや歌声が
響いていた。 後白河
の宮殿である。この時期、法皇はよく宮殿を

移動してい
た。部下の貴族の邸宅
をそれにした。

後白河法皇は望みもせず、運命のいたずらで

こうなってしま
った天皇であり、上皇
であった。 若い頃より今様に打ち込み、政

治のことな
どはまったく知らぬ政
治を治める天皇の器には程遠い、ほうけもの

、不良少年
、不適格者であると見
なされていた。
 このあやまって天皇になってしまった男が

、日本最大
級の政治家になろうと
は、京に住む公家の誰もが思わなかったに相

違ない。
「あの、ほうけの4つの宮(4人目の王子)が

…」というのが、貴族の一般的な
反応であった。

法皇はもの想いにふけっている。
法皇にとっては、頼朝は、単なる地方の反乱

軍のひとつ
にすぎす。平家六波羅政権を打ち倒す方策に

すぎなかった。それが坂東平家・
北条にとりこまれ、このような大勢力になる

とは、想像もつかなかったのでは
る。
法王が仕掛けた手紙(奉書)による爆弾は次

々に効果を産み、日
本全土を混乱のちまた。京都王朝始まってい

らいの動乱へと導いていた。
「朕が悪いか?いやいや、そうではあるまい

。崇徳(すとく)上皇じゃ。あの兄の
怨霊が、戦乱・地震・飢餓を次々と呼び起こ

しているのだ」
法皇はこう考えている。
保元元年(1156年)兄の崇徳上皇を讃岐

に流し、8年後に上皇は亡くなっていた。世

に言
保元の乱である。

その頃、京都鴨川の河岸には、鳥べ野で処理

できない死体の山がはみだし、川が氾濫する
度に腐乱した人間であったもの腐乱した肉片

が陸地におしもどされて腐臭を放
ち、犬や烏が群れをなしてがそれをついばん

でいる。
混乱の京都から、何人かの貴族が流れて行っ

た。
「あの大江家のせがれがこれほどはまるとは

、、」
法皇はため息をつく。
「それに比べて朕の傍には、、、よほど才能

というものが、この京あたりには
枯渇しておるらしい」
いつも考えているのは坂東・奥州のポジショ

ンニングの問題なのである。征服
王朝である京都王権にとっては、この両地方

のバランスが大切なのである。
源頼朝はこの両地方を手にいれようとして

いる。それは許しがたい。何らか
の方策が、、ひとつは西行。もう一つは義経

じゃ」
どう転ぶか。予断を許さない。ましてや、西

行の計画は法王自身の精神問題に
もつながっている。怨霊である。近頃崇徳の

のろいが、日々法皇を苦しめているのだ。憂


晴らしとして、今様(いまよう)を歌ざるを

得ない。騒がざるを得ない。

「しかし、時代は代わってしまったものよ」
後白河法皇は、京都政権を守らねばならなか

った。
武士はとは、殺人をないわいとする職業集団

。いみ嫌うその集団を、北面の武
士といういわば、親衛隊をつくり自分を守ら

ねばならない。その矛盾はある。
26年前の事だ、源頼朝の事は覚えている。

父を、この平安京始まって以来。殺人刑に
処した。
「あの折の頼朝の表情は覚えている・たぶん

、朕をうらんでいるであろう。文覚もあの折

には、、、」 


それゆえ今、後白河法皇は、白拍子たちを集

め、宴を開らこうとしているのである。白拍


は流行歌手であり、一種のアイドルである。

今様は流行歌であった。

「殿下、もっと見目形のよい白拍子を呼ばれ

た方がよろしいのではごじゃりませんか…」
 関白九条兼実(かねひら)が、その甲高い

声で言った。
「乙前(おとまえ)のことか。兼実殿は不思

議に思うであろうな。あの八十才にも手が届

く白
拍子を俺が呼ぶのを。が、兼実殿、人の値打

ちは見目形や身分や年ではないぞな」
「で、何でお決めになるとおもわれます」
「才じゃよ」
「はっ」
「才能じゃよ。あの乙前は、今様を数多く謡

えることにかけては、当代並ぶもの
もあるまい。この才においては、兼実殿、藤

原氏の長者(代表)のお主ですら、及ばない

であろうのう。
それに…」
 後白河法皇は、思わず言い捨ててしまいそ

うになる。
(氏(うじ)が何になろう。この現世の人間

の世は才能よ。それも天賦の才に加えて、才

を磨くことに長
けたものが生き残ることができるじゃ。現に

朕がそうじゃ。その才能という武器に、お前

は気付かぬのかのう。兼実、
所詮、お前は藤原の貴族よのう)。
「それに、何でごじゃりましょう」
 やや、惚けた顔で、兼実が尋ねた。
「よいか、今様は、民の心の現れだ。民の心

知らずして、何ゆえにこの朕は頼朝や秀衡と

比べても、
民の心がわかっておらるだろよな。ましてや

、この民の心の歌を、朕の手で、書物に纏め

て、後の世に残して置こうと思うじゃ

「ご立派なお心でおじゃります」
 (民のことを考えるじゃと、恐ろしいこと

を言う方じゃ。この法皇は、今までの院の方

々とは少しばかり違うのう。考え方が桁外れ

じゃ。麻呂も考え方を変えねばなりますまい

。いままでの院や天皇のように扱うことはで

きせぬのう)。
「よいか兼実殿、殿上人は申しているであろ

うぞ。朕、後白河法皇は、下々のこともとて

もお好きじゃとのう。が、この世の中は殿上

人や武家だけのものではあるまいの。世の中

は民で成り立っておるのじゃろう。後の世に

名が残るのは、、果たして、朕か、鎌倉の頼

朝か奥州平泉の藤原秀衡か」
「それは法皇様でごじゃりましょうぞ」
 兼実は追従を打った。が、後白河はにやり

と笑い、その大きな目を向け、大きな声で言

った。
「いや、むしろ兼実殿、麻呂かもしれません

のう」
 法皇は笑みを兼実に返した。が兼実は心の

奥底にこの冷たいものを感じている。
が、法皇はもうすでに、兼実の方を見てはい

ない。


■■西行は、奥州に旅立つ前に、後白河法皇

を訪れて何かを相談していた。
 その西行が出て行った後、京都公家政治の

代表的人物である後白河法皇とそ
の寵臣の関白、藤原兼実は、西行に頼んだ企

みを毎日のように話し合っていたのだ。

「どう思う兼実殿、あのはかりごとの可能性

はどうじゃのう」
「あくまで平泉の秀衡殿の心次第でございま

しょう。秀衡殿の黄金と東北十七
万騎、加えて義経殿のあの武勇、三つ揃いま

したなら、鎌倉の頼朝殿も危うご
ざりましょうぞ」
「そちは義経びいきじゃからのう。が、安心

はできまいのう」
「と申しされますと」
「鎌倉の頼朝には、大江広元という知恵袋が

ついているからのう。まあ、よい、いずれに

転んでも、朕に腰を屈せねば、この日の本の


権は維持できまいぞ」
「誠にその通りでござります、法皇様」
「ふふう。さよう、頼朝ごときは、朕を(大

天狗)とか呼んでおるようじゃが、朕は天狗

どころではないのじゃぞ」
「が、法王様、天狗と申せば、あの弁慶はど

うしておりましょうや」
「さよう、弁慶もくせ者じゃ。何しろ、あや

つの背後には、全国の山伏の群れがついてお

るのう」
「あの弁慶はたしか、法皇さまの闇法師だっ

たのでは……ごじゃりませんか」
「そうじゃ。昔はのう」
「あの弁慶は、どちらの味方をするか、決め

かねておるのでござりますか」
「さよう、あやつら山伏も、古くは、持統帝

の頃より情報網を、この日本中張りらしてお

るからのう、そら恐ろしい奴らじゃわ」
「彼らの唐より伝わる武術書・『六闘』から

あみだした武闘術恐れねばなりますまい」
「そうじゃ。ともかくは、西行の報告をまと

うかのう」
 法皇は院御所に植わっている桜の木を見て

言う。

「ところで、兼実殿、桜がなかなかきれいじ

ゃのう。一節(ふし)歌うてみるか。どうじ

ゃ」
「はっ、これ、誰か白拍子をこれへ。ほんに

法皇様は今様がお好きじゃ」
 白拍子の一団が、庭に入ってきた。
「兼実殿、これも我が書物、梁塵秘抄(りぃ

うじんひしょう)のためじゃ、書物のためじ

ゃ。皆歌のじゃ」
 梁塵秘抄は、法皇がまとめている今様の歌

集である。
 白拍子も、法皇も歌い始めた。めざとく年

かさの白拍子に気づく。
「おお、これは乙前殿、朕が師匠殿、一節た

のむぞのう」
 白拍子の乙前が、目の前にあらわれていた

のである。
「乙前殿、今日はどんな新しき歌じゃのう。

はよう謡って下され」
 乙前はろうろうと歌い上げた。年を感じさ

せない。
「おお、それはどんな者が謡っておのるじゃ

。詳しく聞かせてくれぬかのう」
 法皇は今までの兼実に見せていた顔と、違

う面を見せている。それが、兼実には恐ろし

くもあった。この法皇は底知れぬ。
「ほほ、ほんに法皇様は歌がお好きですこと


「乙前殿、この世の中で、今様が一番好きな

のは、、この朕じゃ」
「ほほう、殿下はおもしろいことをいわれま

すなあ、、ふふ」
 乙前は、ほとんど歯の残っていない口をみ

せた。
 突然、乙前は歌を急にやめる。
法皇さま、西行さまは、、、」
怪訝な顔つきである。
「そういえば、乙前殿と西行殿とは知り合い

じゃったのう」
「さようでございます。西行殿の外祖父様、

源清経殿は我が母を囲っておりました」
「そうじゃった。が源清経もわしの今様の師

匠じゃ。悪ういうではないぞ」
 西行の外祖父源清経は、目井とその養女乙

前を囲っていたのだ。
(続く)
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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