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義経黄金伝説●第30回

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義経黄金伝説■第30回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第4章 一一八六年 足利の荘・御矢山(みさやま)

■9 1186年文治2年 鎌倉   

鎌倉には、西行襲撃失敗の報告が早馬で届いている。
西行を追った我が手の者、かえって参りませぬ。どうやら、返り討ちにあっ
たようでございます」
大江広元は、策の失敗を頼朝に告げた。次郎左達は大江の支配下に動いてい
た。
「むむう、役に立たぬやつらじゃ。して、西行は。そして沙金は」
 頼朝は、顔を朱に染めて尋ねる。
「どうやら、西行は、いまだ平泉から動かぬ模様です。沙金については、行方
しれずとのうわさ」
「待てよ広元、我が手配の者ども失敗したといいうたな」
「左様です」
「では、砂金の行方は、おかしいではないか」
「あるいは、他の賊がが奪いにきたか、あるいは秀衡に対して西行が嘘をつ
おいているか」

その時は、雑色が入って来る。
藤原秀衡様の沙金が、鎌倉に届きました」
「して、その荷駄隊に、西行なる法師おったか」
 広元は尋ねた。
「いえ、多賀城の商人吉次の荷駄隊と聞き及びます」
「吉次の……」
西行の沙金いかがいたしたか」
「いずこかに。今日の荷駄は、恐らく平泉の別動隊。秀衡もやるものです。一
杯食いました」
「ならば、西行の荷駄隊は目くらましか」
 「いつくかの荷駄隊を送り出した可能性もございます」
 二人は策につまり
急に黙る。
「のう広元、一体、後白河法皇はどのような話を、西行に伝えたのか」
頼朝が別の考えをしめいしゃ。
「あるいは秀衡殿と、義経殿が手を結び、この鎌倉を攻めよとか」
「が、秀衡殿、動くかどうか」
「今、あの平泉は義経殿が戻ったことにより、秀衡の和子たちが命令にしたが
いますまい。秀衡の子供のうち、特に泰衡は、腑抜け。とても秀衡の後を継げ
る器ではないと聞いております。泰衡を一押しするのです。義経を渡さねば、
鎌倉の軍勢が平泉を攻めると」

 広元は一番恐るべき、そして考えられる策を述べる。
「その一押しも、この鎌倉ではなく、京の法皇から出させた方が面白いかもし
れぬ」
「まこと、さようでございます。平泉王国、内部から崩壊させるのが得策」
 広元は、頼朝の案に賛意を示した。
「広元。わざわざ義経を見逃し、平泉に入れたのも正解かも知れぬのう」
 意外な言葉であった。頼朝は、わざと、義経を逃がし、どうしても奥州へ逃
げて行かざるを得ないようにしたというのだ。
「まこと、これは頼朝様にとって、義経殿、秀衡殿、大天狗殿(後白河法皇
三者を一度に追い詰めて行くのに好都合でございましたな」
 この時期に、三者を纏めて滅ぼそうという案だった。

「では、もう一手打つか」
「はて、その手は、平泉の内紛を起こすための……」
「そうだ。泰衡の舅殿、藤原基成殿を動かすのよ」
「おお、それはよい手でございます」広元、手を打った。
「秀衡殿亡き後、基成殿は泰衡殿の政治顧問、義経殿のことよく思っておりま
すまい」

■ 1186年文治2年 京都

 京都では、後白河法王と関白の九条兼実が策を練っている。
「さあ、どうじゃ、兼実。お前なら、どちらを取るかじゃ。秀衡か、頼朝か」
 かすれ声で、後白河は言った。
法皇様、そのお声いかがなされました」
「いや、また、ちと今様うたいすぎてのう。声が嗄れたわ」
今様好きのの法王は、こんな折りでも今様はかかさぬ。生活の一部である。
「秀衡、頼朝の事、法皇様のことでございますから。両天秤をかけた上、各々
方策を取っておいででしょう。どちらにころんでも安全なように」
 疑い深く兼実は答える。貴族の長らしい安全策をのべる。

 後白河は、ふうと溜め息をついたようだった。
「よう、わかったのう」
「それはそれは、麿はいつもお側にお仕えしている身でございます。そのくら
いのこと読めずにいかがいたしましょう」
「ともかく、兼実、朕は、あの武士どもが嫌いじゃ。なにか策を考えよ」
 心の底から、後白河法皇は武士を嫌っているのである。
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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