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義経黄金伝説●第34回

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義経黄金伝説■第34回 
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(C)飛鳥京香・山田博一
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第5章 1187年 押し寄せる戦雲

■4  1187年文治3年 京都 
 
 文治三年(一一八七) いまは、京都の嵯峨に住まう西行の草庵に、一人の
商人姿の男が訪れていた。西行の草庵はあちこちにある。
「十蔵、まかりこしてございます」
「おお、これは、十蔵殿。ひさかたぶりだ」
十蔵は、挨拶もそこそこに、用向きを聞いた。
 いわば十蔵は、死に急いでいるのである。
 西行からのこの度の連絡を受けたおり、いよいよ俺の死ぬときが来たかと、
体が武者ぶるいしていた。無論、西行に呼ばれたことは、東大寺や重源には告
げてはいない。奥州藤原秀衡がなくなった事は聞いていて,世の中が再び騒然
となって来ていている。
「で、西行様、何かご依頼が」
「そうだな。……」
 しばし、西行は、無言だった。やがて、 深深と、十蔵に頭をさげていた。
「すまぬ、十蔵殿、死んでいただけぬか。東大寺のためではなくこの西行
ため、いや日の本のためにな」
平然とうけとめ、十蔵はふっと笑う。
「いよいよ、お約束のときが、参りましたか」
「早急に、摂津大物が浦(尼崎)より旅立ってほしい。そして多賀城で吉次に
会い、それからは吉次の指示に従ってほしいのじゃ」
西行様はいかがなさります」
「お前様の後を追う。他に片付けなければならぬことが多いのじゃ。先に立っ
てくれ」
「わかり申した」
 十蔵は、すばやく、西行の前から姿を消す。
 「はてさて、重源殿が、どう動くかだが」
 西行はひとりごちた。

■ 1187年文治3年 平泉  

 平泉の高館に、泰衡の弟、忠衡が、内々で義経を訪れてきていた。
「のう、忠衡殿、私はこの平泉王国の将軍の座を、泰衡殿にお譲りしてもよい
のだぞ」
 平泉王国の内紛の様子を知る義経は、自ら身を引こうとしている。が、この
言葉を聞いて、忠衡は、激怒し、立ち上がっていた。
「何をおっしゃいます、義経殿。そのことは我が父秀衡が、我々子供を死の床
に呼び、遺言したもの。それをいまさら…、なさけのうございます」
 最後には泣き出している。その忠衡の方に手を掛け、慰めるように義経は言
う。
「私はよいのじゃ。私の存在で、この平泉平和郷が潰れることになっては困りま
しょう」
「それが鎌倉殿の、狙いではございませんか」

「この勝負、最初に動いた方が負けという訳でございますな」
「さようでございます。よろしゅうございますか。今、天下の大権を握れるの
は、頼朝殿か義経殿か、どちらかでございます。断じて、我が兄泰衡ではあり
ません」
 思案顔の義経と、見まもる藤原忠衡だった。

■ 1187年文治3年 京都

「静殿、今から恐ろしき事を申し上げる。お気を確かにされよ」
西行は静をたずねている。京都大原にある庵である。

静はあの事件ののち平泉から帰り、尼になり京都郊外にある大原の寺に住まっ
ている。長くは、平泉にいなかった。というのは義経が新しく妻をもとめてい
る。新妻は、藤原氏外戚である。それゆえ、静は身を引き、京都に傷心で戻
っていた。
西行様、そんなに思い詰めた表情で、一体何をおっしゃるつもりでございま
すか」

義経様の和子様、生きておられる」
しばらくは、静の体がふるえていた。顔もこわばっている。
西行様、おたわむれを、冗談はお止めください。私は、鎌倉にて我が子が殺
められるところを目にしております。この目に焼き付いております」
「が、その殺された和子は偽物じゃ」
「まさか、そのようなことが」
「よいか。静殿の母君、磯禅尼殿、しきりに下工作をなさっておった。その結
果じゃ、後ろで糸を引くは大江広元殿。その企みじゃ」
「それでは、今、和子は」
「それは、おそらくは、鎌倉の、大江広元殿が知っているはずじゃ」

■ 1187年 京都藤原兼実屋敷

「お、重源殿。よう参られました。ちょうどよい機会ですな。拙宅に法然殿が
参られておられますぞ」
「おうおう、それはよき機会でございますわな」
関白藤原兼実の自宅だった。
重源は雑職(ぞうしき)に、表で待つように告げる。重源は猫車(1輪車)を
自からの移動に利用している。重源には雑職がいつも2人ついている。
この車で、日本全国を勧進して回っている。勧進集団50名を引きつれて日本全
国を勧進して回っている。
東大寺勧進職は、最初、法然に白羽の矢があたったのだが、法然は、重源に譲
ったのだ。
藤原兼実は、法然に帰依し、兼実から噂をきいた後白河法皇法然に寄進して
いる。
「兼実様、もうしあげにくき事ながら、、」
重源は、時の関白藤原兼実にふかぶかと頭をさげていた。
兼実に不安がよぎる。
「いかがなされた。重源殿、表をあげてくれませや。そんな他人定規な、な。
麻呂と重源殿の間ではございませんか。大仏再建の事、麻呂も、法皇様もあな
たさまにお礼を申しあげたきくらいです。よう、よう、あそこまで大仏を再建
してくださりました。で、まさか、何か大仏再建の事で、、」
重源は、しばし、頭を下げたままである。
「さようです。できれば、関白殿、拙僧は勧進職を辞退したいのです」
重源は、その精悍な顔をあげ、関白藤原兼実に言った。

「何をいわはるのですか。今この折りに殺生ですわ。無責任とでもいいましょ
うか。重源様の力を、信じたればこそ、お願いしたのやありませんか。それに
民も大仏再建に熱意をいもって協力しているのや、ございませんか」

この大仏再建で庶民の仏教信仰が普及してきたのは事実である。その民衆の仏
教に対する熱狂のうねりを、重源もひしひしと感じている。
兼実は思い当たった。金がたりんという事か。
「ははあ、金(きん)ですか。でも平泉なり、鎌倉なりから届いたの違います
か、、まさか、金がおもうている程届かなかったからとか。図星ですか。でも
西行殿に奥州の秀衡殿に説得していただいたのではないですか」
「いいにくき事ながら、充分ではありません」
「ははあ、西行殿の話と、、秀衡殿、頼朝殿の届いた砂金と違うとでも、、」
西行どの何かたくらみを、、」

「その話は聞かなかった事にいたしましょうか。で、今しばらく奥州の事態を
お待ち下されや」
「それは、平泉が滅びる、、というお考えか」
重源がたづねた。
「いや、はや、北の仏教王国平泉は、我々、京都の人間としては、滅んでほし
くはありませんわあな。何しろ、仏都やさかい。しかし、頼朝殿は、義経殿の
事があり、まあ、早くいえば、奥州が欲しいのでございましょうな」
「源氏の血ですな」
「我々、京都の人間としても、早く天下落居(世の中がおちつくこと)してほ
しいのですわな」
「平泉の仏教王国が滅んでも、日本が平和になればいいと」
「さようです。あの国は蝦夷の末裔。頼朝殿が征偉大将軍として、あの者とも
を滅ぼしくれれば、日本の平和がおとづれましょう」
「今までの世とは、異なる平和でございますな」
「庶民が平和を求めている事は、勧進されながらおわかりでございましょう」

重源は考えている。
(やはり、京都は平泉をすて、鎌倉をとったか。平泉の黄金が、鎌倉の手に期
すか。やはり、我々の鎌倉侵攻は早めればなるまい。栄西殿が宋からかえって
くる前に体制がきまりそうじゃ。法然殿とも話あわずばなるまい。大仏再建の
趨勢は、はや、鎌倉殿の手に握られたか)
(続く)
(C)飛鳥京香・山田博一
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